ひがしすみだカウンセリングルームです。
今日は、青年期の発達障害の二次障碍とその支援について考えます。
神経発達症者の二次障碍による青年期の躓き
青年期における軽度な神経発達症の二次障害の問題というのは、もともとの障害による困難に加えて、発達年齢相応の環境的圧力が混ざり合い、多様な経過と状態像を呈します。とりわけ、軽度・高機能の神経発達症は、その能力障害の程度が「軽い」がゆえに、かえって一次的障碍に伴って生じる問題の輪郭がわかりにくく、日常生活の支障、自己評価の低下、周囲からの誤解、孤立化などの問題を抱える事例が多くあります。これは発達障害に限らず、「軽度」な障害は、軽度であるがゆえに、重篤度が重くなる傾向にあるというのは、DSM-Ⅲの時代からよく知られています。
一次的障害と、発達年齢相応の環境的圧力のミスマッチは、周囲との軋轢を生む悪循環となることが多く、青春期に求められる自己愛の成熟を困難にしてしまう。その結果、自己感の低下、アイデンティティ拡散の問題につながってしまう。青年期においては、社会的自立を前に恐怖を感じ、退行的になる。そんな事例にしばしば出会います。
彼らの多くは、青年期的な危機を乗り越えるための、健全な自己愛発達が阻害されており、こうした問題群に対する心理的支援の必要性は非常に高いと言えるだろう。
エンパワメントの視点
こうした問題群の支援において、私は、「エンパワメント」の視点が有用なのではないかと考えています。
社会学者のラパポートは、エンパワメントを「プロセスであり、「人々、組織、コミュニティが生活を習得する仕組み」と定義しています。困難に対する枠組みをパターナル(一方的に)に与えるのではなく、彼らが有する技能などを現実世界に適合させることで、おのずと能力を発揮していくことを支援する発想です。近年では、保健、医療、福祉、教育などの分野にも広がりを見せる概念です。
障害や困難に覆われて見えにくくとも、彼らは何らかの資源を持っており、それを引き出し、拡大していくことが、力動的な側面だけでなく、行動的側面からも支援の貴重な足場になりうるのではないかと考えるからです。こうした資源はクライエントの中で機能している自己愛領域とも言い換えていいと思いますが、この領域をエンパワメントすることは、二次障碍を抱えるクライエントの自己愛発達支援には欠かせないのではないでしょうか。
こうした資源について、言語だけでアプローチすることは難しいこともあり、それだけに見えにくくなってしまっていることはしばしばあります。だからそんなものはないと周りは思うし、ともすれば本人も思っていることは多い。しかしその影に隠れている豊かな内的世界や、過小評価されがちな、本人なりの現実検討力があって、描画などを通じて、装置たものを「再発見」することは多くあるように感じています。言葉以外の別の表現を通じてコミュニケートする精神療法的関わりは、埋もれていた資源をエンパワメントすることで、健康な自己愛発達のプロセスを促進し、自己統合や、自己愛凝集性を高める支援に繋がるひとつの方法ではないかと考えられます。
自己愛の修復作戦と手を結ぶ
軽度神経発達症者の二次障害の問題は、日常生活や青年期における自立の時期に、大きな影を落とすことがしばしば見受けられます。ときには、自己破壊的な衝動を伴って、不適応となり、退却的になることも少なくありません。神経心理学的な問題がわかりにくいが故に、家族や周囲から理解されず、自己愛を充足することが難しくなっている事例を散見します。
しかし、彼らはただ無力なわけではありませんし、その欠乏を埋め合わせるべく、何かで補おうとしていることも少なくありません。我々はそういった彼らのささやかだけど健康な自己の修復作戦を有効に活用し、エンパワーすることで、自己愛の成熟を支援することができるのではないかと、いくつかの経験の中から感じています。
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