ひがしすみだカウンセリングルームです。
Kohutは自己愛の問題を抱える人々は、その内容の解釈よりも、その出来事についての情緒的体験がThに受け止められ、共有されることがまず重要であることを指摘しました。
そして、自己愛の問題を抱えるクライエントに対する心理療法においては、語りの内容よりも、共感的な応答をされる体験がより重要な意味を持つ心理的な状態があり、自己愛の問題を抱える人々においてはまさにそれが必要だとも述べています。このことを考えるにつけ、いつも思い出されるケースがあります。私がまっだ駆け出しのころに出合い、力及ばず中断になってしまった方ですが、振り返ってみたいと思います(プライバシーのため内容は改変しています)。
対人関係で行き詰まりを感じていたAさん
対人関係で行き詰まりを感じていたAさんは、対人関係を改善するべく来談しました。面接中、彼は、これまでの人生において、人とのかかわりの中で「うまくいかなかった」ことをしきりに訴え、自分を受け入れなかった他者が悪いと他罰的な語りを繰り返しながら、周囲が自分を受け入れてくれないかなしさを訴えていました。他者が自分の期待するように動いてくれないことに怒り、周りに変わってほしいと願っているようでした。
あるとき、Clが仕事を転々とし始めたことで、こちらが「何かをしなくては」という思いが芽生え、過度に介入的になったことがあります。なんとか「うまくやろう」として、Clに「何かをさせる」(=内省させようとする)こちらの焦りであったのでしょう。その結果、Aさんは周囲への不満を強めるという形で反応しました。つまり、防衛が強くなってしまったわけです。
それはAさんの家族が現実適応を求めようとすればするほど、家族に拒否的になっていったように、私が介入しようとすればするほど、Aさんは遅刻をし、病院を変え、心気的な訴えを強めていったのだとおもいます。つまり、こちらが何かをさせようとすればするほどAさんは反発を強め、最終的には中断に至ってしまいました。このケースの過程は、あたかもお互いの「うまくできなさ」を投影しあっていたかのように見えてくるのです。
必要だったものは何か
この中で私がすべきことは、自らの「うまくできなければいけない」思いに気付くことだったと思います。自分のそれを棚上げしたままで、Clに何かを求めることは、自らの自己愛の傷つきを投影し返すだけで、決して有効な介入にはなりません。
すでにAさんは数多くの「うまくいかない」体験を重ねてきているわけで、さらにAさんに何かをさせようとすることは、そのパターンを繰り返すだけだったと思います。Aさんの自己愛をいたずらに傷つけるのではなく、まず、うまくできない、うまくいかない、といった思いを押し付け合うのではなく、この、「うまくいきませんね」ということを共有すること。
このことをまず、お互いに認めて、話し合うことが、クライエントにこれまでと違った体験をもたらしたのではないかと思います。
意外性の体験
うまくいかない自分をクライエントが見つめていくためには、セラピストがうまくいかなさやできなさを見つめて、言葉にすることが重要であろうし、セラピストがその思いに真摯に向き合おうとすることにこそ、クライエントとのかかわりのポイントがあるように感じています。このケースのことを振り返るたびに、そのようなことを考えます。
これまでと違った様式で、意外性をもって体験について話し合うことがカウンセリングの核にあります。カウンセラー自身も自分の体験に内省的になり、率直に話し合うことが、カウンセリング過程を進めることになるのではないかと考えています。
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