こんにちは。ひがしすみだカウンセリングルームです。
今回は、カウンセリングの中で出会う「うまくいかなさ」について、自己心理学の視点から考えてみたいと思います。カウンセラーとして未熟だったころのある出来事をきっかけに、今でも大切にしていることがあります(内容はプライバシーに配慮したものになっています)。
コフートが伝えた、共感の“治療的な意味”
自己愛の傷つきを抱える方とのカウンセリングでは、「どんなことを語るか」よりも、「語ったときにどう受け止められるか」が重要になることがあります。この点を強調したのが、精神分析家ハインツ・コフートでした。
コフートは、人のこころが安定して育つためには、幼少期から「共感的に反応してくれる存在」が必要だと考えました。このような存在を、彼は「自己対象(selfobject)」と呼びました。 たとえば、子どもが「できたよ!」と伝えたときに、それを嬉しそうに受け止めてくれる大人がいれば、その反応は「自分には価値がある」という感覚につながります。こうした体験が繰り返されることで、少しずつ、他人の反応がなくても自分を支えられるような「こころの構造」が形成されていきます。
コフートは、このようなプロセスを通じて、自己の安定性が高まり、精神的な強さが培われていくと考えました。彼はこれを「構造的変化(structural change)」と呼びました。つまり、治療によって一時的に気分が良くなるだけでなく、心の基盤そのものが変わることが目標とされるのです。
自己対象経験が得られなかったとき、こころはどうなるか
けれども、こうした共感的な応答が得られないまま育つと、「自分という存在のまとまり」がうまく育ちません。すると、大人になっても、外からの称賛や注目がないと、自分に価値があると思えなくなってしまうことがあります。
このような人は、ときに他人に過剰な期待を抱いたり、反対に関係を避けたりしながら、自分の心のバランスを保とうとします。そして、他人からのわずかな反応の違いや否定を「存在全体を否定された」と感じ、強く動揺することがあります。
コフートは、こうした状態を「自己の断片化(fragmentation of the self)」と呼びました。自己がうまく統合されておらず、傷つきに非常に敏感になっている状態です。
Aさんとの出会い——「わかってほしい」が届かなかったとき
この理論を思い出すたびに、私は、かつて担当したAさんとのやりとりを振り返ります。(以下の内容は、プライバシー保護のために改変されたものです)
Aさんは、対人関係の中で何度もつまずいてきた経験があり、「自分は理解されない」「人は冷たい」と繰り返し語っていました。ときに怒りっぽく、他人を責めるような言葉が出てきましたが、その裏には「誰かにちゃんと見てほしい」という、切実な願いがあったように思います。
ところが、私は当時、「このままではいけない」という思いに駆られ、「どうすれば今後がうまくいくのか」「自分に何ができるか考えたほうがいい」といった“前向きな”関わり方をしてしまいました。しかしそれは、Aさんにとっては「やっぱり自分は、今のままではダメなんだ」と受け取られてしまったようで、やがて不信感が強まり、面接への遅刻や通院の中断へとつながっていきました。
セラピストの焦りが、自己愛の傷を再刺激してしまうとき
今振り返ると、私自身が「うまくやらなければ」「何かを変えなければ」と焦っていたのだと思います。その焦りは、「変わること」を相手に期待するというかたちで現れ、結果としてAさんがこれまでの人生で何度も経験してきた「また理解されなかった」「また否定された」という感覚を再演させてしまったのだと感じています。
コフートは、治療者側の自己愛的欲求や不安がクライエントの傷つきとぶつかると、共感の失調が生じやすくなると述べています。そしてそれが、自己対象経験の失敗として体験されると、クライエントの断片化をさらに進めてしまうことがあります。
では、あのとき本当に必要だったことは何だったのでしょうか。 おそらく、それは「変わること」でも「何かをさせること」でもなく、「このままのあなたの感じていることに、私は一緒にいても大丈夫です」と伝えるような、静かな関わりだったのではないかと思います。
カウンセラーが「できなさ」「わからなさ」に向き合い、それを率直に言葉にしようとする態度は、ときにクライエントにとって「これまでと違う関係体験」となります。それは、これまでの人間関係の中で一度も得られなかった、「限界を持った他者が、それでも離れない」という経験となりうるのです。
コフートはこのような体験を「最適な挫折(optimal frustration)」と呼びました。共感は完全ではないけれど、その“ずれ”が破壊的でなく、関係の中で調整されていくことで、クライエントの内面に「他者は完璧ではないけれど、つながれる存在だ」という感覚が育っていきます。
こうして、自己対象の機能が少しずつ内面に取り込まれていくことが、結果として心の強さを支える基盤となっていきます。
おわりに——関係のなかで変化が起こるということ
カウンセリングは、ときに「うまくいかなさ」の連続です。けれど、そこにとどまり、共にその時間を耐え抜くことが、治療的な変化の出発点になることがあります。 「受け止められた」という実感。「否定されずに関わり続けてもらえた」という体験。これらは、自己の土台が揺らいできた人にとって、ただそれだけで深く心に届くものなのです。 Aさんとの経験から私は、「うまくやろう」とする前に、「共にいる」ことの意味を学びました。
そしてその意味は、自己愛の傷つきを抱える方との関係において、今も変わらず、私の実践の核となっています。
ホームへ