セルフコントロールの3つの過程とその失敗

 

カウンセリングのご依頼の中で、時々セルフコントロールが難しいとか、セルフコントロールができるようになりたいといったご相談をお受けすることがあります。主には感情のコントロールが主題となることが多いのですが、大抵の場合、感じている感覚を感じたくなりたいというものが多く、そのように考えるからこそ苦しい、といった状況に陥っていることにしばしば出会います。

感じていることを否定することはかなり無理があるので、それをどう受け止めていけるか話し合うことが多いのですが、そういう感覚に至る手前のところには、必ず具体的な経験--大抵は失敗などがあるように思います。

今回は、バンデューラの自己調整理論をもとに、セルフコントロールの仕組みと、つまづきのツボについて考えていきたいと思います。

Banduraの自己調整理論

自己効力感でよく知られるバンデューラという心理学者がいます。バンデューラはセルフの概念を盛んに用いて、単なる環境の関数ではなく、主体性をもった人間行動の理解の重要性を主張しました。バンデューラ(1971)は自己強化の説明において、「人々は、自分自身の行為に自ら結果を与えることによって、自分の行為を自ら制御することができる」としています。

セルフコントロールは3つのプロセスからなる。

自己調整理論によれば、自己調整は大きく3つの過程として考えられると言われています。それは、自己観察と判断過程と自己反応。バンデューラによると自己調整は、セルフモニタリング(自己観察)が行われた後、情報の判断(フィードバック)、行動の評価(と自己報酬、自己罰)によって成立するといわれています。つまりセルフモニタリング(自己観察)とフィードバックの自己評価が自己調整を支える大きな要素であって、妥当な観察と評価がなされることで、セルフコントロールが行われるということになるわけです。

このプロセスは、観察された情報(自己観察)は、自己、あるいは他者からフィードバックされ(判断の過程)、それを行為者が評価する(自己反応)ことで、更なる自己調整が行われることが期待されるというわけです。図にするとこんな感じです。自己評価がフィードバックされ、次の行動に繋がり、それがモニタリングされてゆくので、セルフコントロールとは、この繰り返し、ということが言えるでしょう。

それぞれの過程について、以下で概説します。

①自己観察

いずれのセルフコントロール理論においても初期の過程としてセルフモニタリング過程が仮定されていますが、この点については自己調整理論においても同様です。自己調整における自己観察は、行動の様々な側面(質、量、速度、独創性など)について選択的に注意を向け、そこで生じていることについて情報を得ることです。この過程で、問題がどういうものかの認知され、自己調整の方向付けられます。

また、自己調整の結果生じた行動の変化についてもモニタリングを行うのもこの段階です。つまり、問題に対する認知と、行動の結果に対するフィードバックがこの過程で行われる。ここでポイントとなるのは、問題や行動の結果に対してどのような頻度・タイミングで行動をモニターするかによって、行動の結果に対する評価が影響を受けることが指摘されているほか(春木,2004)、問題認知のスタイルや認知の深さの度合い(認知の水準)によって影響を受けるといわれています。このほかに、習慣化された行動や、信念体系が自己観察を阻害することが考えられるます。習慣的な信念体系によって、行動変容や望ましい行動の維持が困難になる可能性があるといわれています。

②判断過程

 次に、観察した情報は評価のために吟味されます。観察された行動は、個人的な基準(チャレンジ性、明確さ、近接性、普遍性など)に照らし合わせてその良し悪しが判断されることになります。その際、比較のための基準として何をとるかは判断過程の中で重要な事項になってくるのは言うまでもありません。

例えば、(社会的に)標準的な指標を比較の基準とすることもあれば(常識に照らし合わせる等)、所属グループ内の標準を基準とする場合もあるでしょう(周りはみんなで来ている等)。または自己の過去の成績との比較も基準となりえます(以前はこんなにできた/できなかった等)。こうして何らかの基準と観察結果の比較が行われるのがこのプロセスです。

③自己反応

最後に、判断過程によって観察された行動が基準より上回っていればよしと評価するし、逆の場合はだめと評価する過程があります。このような評価は次の行動の誘因となるわけで、結果をいかに評価するかがセルフコントロールには重要になってくるわけです。

バンデューラは観察によるモデリング学習が行動調整に影響することを強調し、カンファーやクーパーズに代表されるセルフモンタリングの研究者もセルフコントロールのプロセスにおいてセルフモニタリング過程を仮定していることから(やや古いですが)、行動のコントロールにおいてセルフモニタリングが不可欠のものとして捉えているとみることができるでしょう。

セルフコントロールつまづきのツボ

ここまで見てきたとおり、セルフコントロールを行うことで必要なのは、的確なセルフモニタリングと、的確な評価基準、的確な自己評価が必要になります。Snyder(1972)によれば、自己観察には個人差があり、この個人差によって観察された事態に対する対処行動は異なってくると考えるのは何ら不思議なことではないでしょう。こここそがセルフコントロールのつまづきのツボなのです。

例えば、今日はいつまでにこれをやろうと決め、実行しようと思ったができなかった。「これ」は別になんでもいいですが、自分で計画を立てたものの、できなかったということは誰しもあると思います。これを自己調整理論で考えると、なぜそのコントロール行動がうまくいかなかったのか整理しやすくなります。

セルフコントロールの失敗は、大抵の場合、どこかのプロセスに問題があって起こります。例えば、自己観察水準では、自己観察時の見積もりが適切ではなかったり(量や時間、内容、体調、能力の見極め)、見るべきポイント(何を重視したら良いのかの焦点づけ)が適切でないためにうまく行かなくなってしまう、などです。先程も述べましたが、こうするべき、ああするべき、こうしてきた、ああしてきたという信念が、観察する目を歪めてしまい、適切な見極めができないこともしばしばあると感じます。

判断過程水準では、物事を測るためのものさしが、対象にあっていないことが大きな要因になりやすい。その行動を測定するための評価基準や、参照枠の水準が高すぎたり低すぎたりして、適切に評価できないことで、行動に対する不適切なフィードバックが返ってきて、結果うまく行かなかったと評価したり、自分には簡単すぎるとしまうことになりるのは、言うまでもないとだろうと思います。1cmを測るのに、電子顕微鏡を使う人はいませんし、人工衛星を使う人はいませんね。

また、フィードバックは自分だけでなく、他人からも行われるものですが、理屈は一緒です。悪質なクレームなどがわかりやすいかと思いますが、店員は適切に行なったにもかかわらず、お客様は神様なのに失礼だなどとフィードバックされるのは、往々にして他者の行うフィードバックの参照枠が不適切だったり、過度な要求だったりするだけであって、適切なものさしで測定されたものとは言えず、本来は判断に耐えるものではないでしょう。

しかし自己反応段階で、それはまずかった、失敗をしてしまったと評価をすれば、それは行動制御に失敗したことになってしまいます。そして、その評価が、次なる自己観察を歪ませます。

介入のポイントは自己観察の精度とものさしの再点検

自己制御研究の中に、闇雲にやって失敗する児童に対して、計画を建てるときに、どこに着目して計画を立てるとよいか、何を基準に評価するとよいか、といった、自己観察と判断過程に力点をおいて、認知的に介入した研究があります。対象児童は、自分なりに問題の洗い出しができて、自分の行動計画が適切でなかったことに気がつき、行動を調整することができたという結果が出ています。

セルフコントロールはセルフモニタリングの質に左右されます。カウンセリングでは、クライアントのセルフモニタリングの傾向に焦点を当てながら、セルフコントロールが機能的に働くよう援助していくことを考えるようにしています。

 

ホーム

2020年06月18日