1. はじめに:見えない努力と「ちゃんとしている自分」の苦しさ
ASD(自閉スペクトラム症)の人と初めて出会ったとき、「この人が本当に発達障害?」と感じることがあります。 表情も豊かで、受け答えもしっかりしている。気配りもできて、人と円滑にコミュニケーションを取っているように見える。 診断があると聞いて驚き、「全然そんなふうに見えない」と口にしてしまったことがある方もいるかもしれません。
ですが、それは“見えていないだけ”のことがあります。
人と関わるその瞬間だけを切り取れば問題なさそうに見えても、当事者の多くがそのあと、ぐったりと疲れ果ててしまう。
「人と話すのは、心の体力をものすごく消耗することなんです」
そんな言葉を、カウンセリングの場で聞くことは少なくありません。
この「人に見せている自分」と「本来の自分」の落差。
それをつなぐのが「カモフラージュ(camouflaging)」という概念です。
ASD当事者が、人間関係や社会の場面で“ふつうらしく”ふるまうために、自分を抑えたり隠したりする努力。それが、カモフラージュです。
ASDは、「対人関係の苦手さ」「感覚特性」「こだわりの強さ」などの特性を持ちますが、知的能力や言語能力が高い人ほど、表面からは見えにくくなることがあります。
また、成人期や特に女性の場合、「周囲に合わせる」ことを幼少期から求められ続けてきた結果、自分の特性を上手に隠すスキルが身についていることもあります。
ハンナ・ルイーズ・ベルチャー(Hannah Louise Belcher)は、自身もASDの女性であり、研究者としてこの問題に取り組んできました。 著書『Camouflaging Autism』の中で彼女は、ASDの人が行うこのカモフラージュ行動を、「誰にも気づかれないまま、自己の一部を切り離して演じ続ける苦しみ」と表現しています(①)。 ふつうの人に見えることの代わりに、自分自身を見失ってしまう──それがカモフラージュの本質です。
2. カモフラージュとは何か──ふつうに見せる技術と代償
カモフラージュとは、日常のさまざまな場面で、自分の特性を抑えたり演じたりして、人に合わせる行動の総称です。 具体的には、以下のような行動が含まれます。
・会話を始める前にスクリプトを準備しておく(何を言うか頭の中でリハーサルする)
・相手にとって心地よいように笑顔や相槌を「調整」する
・アイコンタクトを頑張って意識的に取る(本当は落ち着かない)
・感覚過敏を我慢する(音、光、においなどへの強い反応を押し殺す)
・自分の本音よりも「こうすべき」「こう言うべき」という基準でふるまう
つまり、“自分らしさ”よりも、“社会に適応すること”を優先して構築された行動様式です。 このようなふるまいが表面上うまくいっていると、周囲からは「気が利く人」「空気が読める人」「頑張り屋さん」と好意的に評価されることもあります。 ですが、実際にはその場限りの“仮面”を維持するために、膨大な精神的エネルギーを使っているのです。
ベルチャーはこう語ります。
“私たちは、他人の期待に合わせるために、自分の声を少しずつ削っていく。 そうして気づいたときには、どこまでが“演じた私”で、どこまでが“本当の私”だったのか、わからなくなっている。”(①)
これは非常に象徴的な言葉です。 カモフラージュとは単なる「社会的スキル」ではなく、自己の分裂を引き起こしかねない、生き延びるための構えなのです。
3. カモフラージュの背景にある孤独と傷つき
では、なぜここまでして“ふつうに見せる”必要があるのでしょうか。
その背景には、多くの場合、過去の傷つき体験や孤独感があります。
例えば──
・幼少期に、空気が読めない・話が噛み合わない・こだわりが強いなどで「変わった子」と扱われてきた
・その違いを誰にも説明できず、周囲と距離ができていった
・親や教師から「あなたもみんなと同じようにしなさい」と言われ、自分の感覚を否定された
・人間関係がうまくいかず、「自分が間違っているのかもしれない」と思い込むようになった
こうした体験の積み重ねが、「本来の自分を出すのは危険だ」「ふつうのふりをしないと拒絶される」という学習を生み出します。 つまり、カモフラージュは単なる適応ではなく、防衛であり、生きるためのサバイバル戦略なのです。
ベルチャーは、このような社会の期待と当事者の葛藤についても鋭く描いています。
“カモフラージュは、他者に受け入れられるための仮面だった。
でもそれをかぶり続けるうちに、本来の私は“場にふさわしくない”ものとして、心の奥に閉じ込められてしまった。”(①)
このように、カモフラージュの根底には、理解されなかった痛み、見捨てられることへの恐れ、自分のままでは生きていけないという絶望感があります。 それは、とても静かな、けれど深い苦しみです。
4. 回復のはじまり──演じないでいられる場所を探す
カモフラージュをやめることは、簡単ではありません。 それは、これまでの人生を支えてきたものでもあるからです。
けれど、その構えがもう限界にきているときには、少しだけ別の道を探す必要があるのかもしれません。 ベルチャーは、カモフラージュからの回復についてこう記しています。
“初めて、自分を演じずにいられる時間ができたとき、私は『ああ、これが私の声だったんだ』と気づいた。”(①)
この気づきには、時間がかかるかもしれません。 でも、その人がその人のままでいても大丈夫な場所がひとつでもあることは、回復の大きな力になります。
カウンセリングの場では、 無理に笑わなくてもいい うまく説明できなくてもいい 「よくわからないけどつらい」と言ってもいい 自分の感覚を否定されない そんな体験を一つずつ重ねていくことを大切にしています。 ふつうを装うことをやめたとき、本来のその人の輪郭が、少しずつ見えてくる。 そこには、これまで押し込めていた言葉、気持ち、願いが、静かに息を吹き返すように現れてくるのです。
おわりに
カモフラージュという言葉の背後には、当事者の計り知れない努力と、語られない孤独が存在します。 あなたがもし「ちゃんとしすぎて、つらい」と感じているなら、それは弱さではありません。 それは、長いあいだ、誰にも気づかれないようにがんばり続けてきた証です。
ふつうじゃないあなたが、そのままでいてもいい場所が、どこかにありますように。 そして、その場所がまだ見つかっていないときには、私たちがその一歩を一緒に考えることができればと思います。
参考文献
① Belcher, Hannah Louise (2022). Camouflaging Autism: Masking and the struggle for identity. Jessica Kingsley Publishers.
ホームへ