博士課程にいた頃、私はひょんなことから、慢性疾患のセルフケアの研究をしていました。特に、セルフコントロールにおいて、行動面だけでなく、感情面もまた、ケアを考えるときに無視できないと考えて、行動と感情のセルフモニタリングに焦点を当てた研究でした。当時はまだ勉強不足で、気づいてはいませんでしたが、振り返ってみれば、今で言うところのメタ認知だったり、メンタライゼーションの研究だったんだなと思います。
さて、病気のセルフケアというのは、9割は患者が行わなければならないものだと言われています。患者さんが主役であって、支援者にできることは僅かなことでしかない。それだけに、患者さんの身体的、心理的負担は大きくセルフケアを維持するのは困難だというのは慢性疾患ではよく聞く話です。これは、心の悩みにも当てはまることでしょう。
行動コントロールにセルフモニタリングが大きく影響することは、コラムでしばしば書いてきたことだけれども、モニタリングをすればセルフケアがうまくいくか、というと、そうではなかったというのが、当時調査してわかったことでした。じゃあ、モニタリングは無意味か、というとこれもまたそうではなかったんですね。特に、行動をコントロールするにあたって、自分の行動だけでなく、そこに現れる感情をモニターすることに意味があることがわかった。
じゃあ、どういうことかのか。
セルフモニタリングが、必ずしもセルフケアの良好な予後をもたらすわけではないのだけれど、自己の感情を適切にモニタリングできていた人は、セルフケアに対する動機付けが高かったのに対して、感情をうまくモニターするのが難しかった人はセルフケアに対する抵抗感が高かった。いやいややっていることを押し隠したり、後回しにしてしまったりすることなどがあるのか、これらの人は、長期間にわたってセルフケアを行う場合、ストレスの問題や燃え尽き、抑うつが問題となりやすかったのです。
こうしたセルフケアのストレスはストレス対処を主体的に行っているかによって、体験が変わってくるものです。主体的にセルフケアを行うということは、例えば自分の感覚を適度に捉え、それに応じて行動を調整することを行うことだったりするわけです。ただ頑張るでは苦しい。嫌になっちゃうよねと思えたほうが気が楽だし、人に言うこともできる。それは間違った感情ではない。あなたが確かに感じている感覚なわけですから。欺瞞などではない。むしろそう言うことを思って過ごせたほうが、病気との折り合いやすいといえそうです。そのほうが心理的負担感や抑うつ傾向が軽減されやすい。誰かにさせられるのではなくて、自分で主体的にやる工夫のほうが、病気を抱えて生きることの、心理的負担感を緩和するのです。
その意味で、セルフモニタリングと書いてはみましたが、自己の中で起こっている感覚に開かれるようにするという意味では、対自的なメンタライジングをするということでもあるのだろうとおもいます。
セルフモニタリングはセルフケアに対する肯定的態度要因の形成を促進する作用と、セルフケアにおける心理的負担感の緩和、あるいは、抑うつを和らげる作用がありそうです。こうした態度は、患者が病気を受け止め、病気との折り合う助けになるといえるでしょう。
ただし、自己評価の低い患者さんが過度のセルフモニタリングを行う場合、かえって低い自己評価をさらに強めてしまう傾向があるので、注意が必要です。セルフモニタリングにもコツが要ります。大事なのは適度な量と程度です。適切に、というのが大事であって、過ぎたるは及ばざるが如しというやつです。ぼちぼちがやはりいい。そうした程度だけでなく、見方、見え方が妥当かどうか、ものさしは適切か、誰かと共有しながら検討できたほうが良かろうと思います。
そのために支援者がいるのです。
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