「ぼちぼちいきる」ために心理ができること

 

前回の更新から、随分と日がたってしまいました。今回は、発達障害などの治療目標もしくは治療方針についての私の考え方について、少しまとめてみようと思います。

困難は多元的な要因で形成されている

青年期における軽度な神経発達症の治療的難題は、一次的障害が基盤にあることが容易に推測できても、発達過程に伴って加わる諸々の環境的要因が混ざり合うことで、多彩な経過と状態像を呈することにあります。高機能の神経発達症は「定型的発達ラインdevelopmental line」(Freud,A.,1965)の人々とは異なり、生活場面でのぎこちなさ、関係性構築の能力の困難さ、さらに社会的行為の意味了解の困難さ等々を生じることが少な雨ありません。そもそも器質的なものと心理的なものは2階建て構造になっているのであって、それらが混ざり合って、複雑な病態像ができているのです。その「結果」として、「周囲からの誤解」、「変人・奇人扱い」、「孤立化」などの苦境に落ち窪んでしまうことがしばしば起こってきてしまうのです。そして青年期に至ると、自分自身への自信・自己肯定感の低下もさることながら、目標となるような理想像も見出せず、自己形成に困難をきたす事が非常に多いように思います。こうした要因を背景にした周囲との軋轢や摩擦は頻繁で、残念なことに、中核的自己の安定的成熟にとっての大きな壁となってしまうことが多いと言わざるを得ません。

定形? 非定形?  アイデンティティってないとだめ?

青年期の「定型的」発達過程と課題を前提にして、こうした神経発達障害の困難さを発達-臨床論的に考える時、青年期に特徴的な心性や年齢相応の課題の達成、さらには環境的圧力との間で、ミスマッチを引き起こしていることが容易に見て取れるわけです。それは周囲の人間(親や友人、同僚)ばかりでなく、支援の文脈においても、気分障害(うつ病など)を始めとする他の疾患群、とりわけ「重篤なパーソナリティ障害」と混同されることも少なくありません。このとき、そこで生じている病理をアセスメントすることは支援の第一歩といえますが、このときに留意するべきことがあると考えています。

 

それは、軽度神経発達障害の青春期の事例において、「定型的発達」のアイデンティティ確立を中心に置く必要は無いのではないかという点です。それは、多くの事例において、「アイデンティティの確立」どころか、それ以前の発達課題上の問題までも露呈してしまい、「定型的発達ライン」から大きく逸脱している状態が少なくないなかで、とりわけ、“自己意識”に目覚める青春期におけるこうした孤立・誤解・疎外感は、自己の断片化を引き起こし、バランスの取れた人格構造の中心となり、安定的な自己愛を成熟・凝縮させられなくなってしまう。そもそも、「アイデンティティ」という考えも、7~80年代のアメリカ中産階級男子にみられるものとして仮定された概念であって、これにとらわれる必要はそもそもないのではないかとよく考えます。


定型的な発達にとらわれない生き方

こうした青年期の臨床で目指す点の一つの形は、定型的な形に拘らず、「自分なりに」「ぼちぼちやって」いけることではないかと私は考えています。ただ、自己が断片化している状態では、往々にして、「自分」を感じる機能は棄損されてしまっています。そのような自己を取りまとめ、支える、補助自我としてかかわることに治療者の役割があるのではないか。

セラピストはこれまでと異なる対象としてクライエントとかかわることで、クライエントはセラピストを「理想化」し、「取り入れ」ながら、代替的な自己構造を構築していくことを目指します。理想化と言うと「崇める」みたいにお感じになるかもしれませんが、そういう権威的な関係ではなく、クリエントさんがお感じになる気持ちや感情を引き受けるという意味です。同時に、セラピストは新たな対象として自己を提示し続けることで、オルタナティブな価値モデル、要求水準についての捉え直し、新たな関係性の構築を図る。そういった臨床モデルがあって良いと思います。

好きなものを大事にする生き方

具体的には、①自己対象関係(趣味や、嗜好、コミュニティなどへの没頭等)を見出し、強化していくこと、②無理をしないための、感情状態の名付けやモニタリング、③危機状態時の医療へのアクセス支援などが、個人的な勘所だと思っています。クライエントの趣味や嗜好といった、いわば「暮らしのよすが」を、興味関心を持って受け取り、かかわりの手がかりとしながら、「現実」を取り扱う事のできる時を待つ姿勢が、特に青年期臨床の基本なのだろうと思います。

心理にできることは、思ったよりも多くはないと私は考えます。カウンセリングも、カウンセラーが一人で何かをするわけではなくて、クライエントさんの主体的な参加なくしては成り立ちません。カウンセラーは、クライエントさんのもつ「ささやかかもしれないが、健康な自己の修復作戦」を有効に活用して、エンパワーすることが仕事の一つであると理解することが、青年期臨床を行う観点の一つとして必要なのではないかと考えています。

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2019年10月17日