ひがしすみだカウンセリングルームです。
「あたりまえ」という言葉があります。あたりまえとはあたりまえのことなのですが、あたりまえほど難しいことはないなと感じます。そしてクライエントさんはあたりまえのことをあたりまえにできなくなってしまって苦しんでいるのだなと思うことがしばしばあります。
当たり前が当たり前でなくなって苦しくなる
失礼なこと、無礼なことをされれば人は怒るのが当然です。
怒りを表出するかはともかく、「なんて失礼な人なんだ」といって怒りの感情がわくことは極めて普通のことなのですが、そのことを覆い隠して、「そんなことをさせてしまった自分が悪い」と考えてしまう。またある人は、本当はしんどくて休みたいのに、大丈夫なようにふるまってしまい、体を壊してしまう。これは、身体の声に耳を傾けることができずに、頭の声(べき思考、通念)を優先してしまって起こることでもあります。
自分の気持ちがわからないなら、わからないでいいのですが、わからないことは人間に強い不安をもたらします。そして何か言葉をつけようと必死になって考えてしまう、なんていうこともあります。
頭の声に従いすぎないで
何でもやりたいようにすることがいいことなのかは私にはわかりませんが、やりたいことやいやなことを、やりたいとかいやだとか感じることは当然のことであって、押し隠される必要は本来ないはずのものです。でも私たちは、頭の声に惑わされて、そのことを見失ってしまう。自分で認められない事実や、感情というのは確かにあるのは当然です。それを受け入れるのは容易ではない。
しかし私たちには限界があることも当然で、どこかで折り合う必要があるのも事実です。それに目を向けることを恐れて私たちはゆがんでしまう。ある程度のゆがみであれば、破綻しないでやれるものですが、それが過剰になってしまうとどうしても生活に支障が出てくる。そうしたものを抱えてクライエントの方はお見えになるのだと思うのです。感情を覆い隠すように抑うつや、躁状態、ときには自分の感情を切り離すような解離などがおこってくるわけですね。もちろんそういうことに逃げざるを得ない時だってある。
でもそれをいけないことだと自らを縛ってしまって苦しくなってしまうこともあります。
自分のあたりまえを取り戻す-回復への第一歩
カウンセリングはそうした、あたりまえに感じていいことを取り戻していく作業なのだと思います。そのために、カウンセラーはさまざまなことをうかがいます。その時何をして、どんな感じがして、どんなことを思ったか。そうしたことを手掛かりにして、見失ってしまったあたりまえの感情を、あたりまえに感じられることで、ゆがみが緩和されてくるのだと思います。
特に見失われがちな感情は「怒り」と「いや」な気持、そして「疲れ」です。くたびれて当然のところを無理していた方は、ちゃんと「疲れる」ようになることが回復するうえでは必要ですし、何でも我慢してつらくなってしまった人は、がまんが「いやだ」と感じられることから回復が始まります。カウンセリングの中で、感情や感覚に焦点があてられるのはそういった理由からなのです。
あたりまえをあたりまえに
感覚や感情は頭の言葉とは違う、より自分に近いことばです。その言葉を探索することで、あたりまえの気持ちをあたりまえにとらえ、自分のものとしていくことを促進していきます。
時には、名前も分からない感情の名前を探すようなプロセスをたどることもあります。「これが怒りだったのか」「これが疲れだったのか」「これはしんどいといっていいのだなあ」と気づかれていく方もいます。「逃げてよかったんだなあ」「できなくて無理もなかったなあ」と、そういう風におっしゃる方もいます。
あたりまえのことをあたりまえに感じることは存外難しいことですが、あたりまえがあたりまえになることで、回復が始まるものだと私は思います。
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