ひがしすみだカウンセリングルームです。
今日は絵画療法について自分の思うことについて書いてみたいと思います。
前回、絵画療法における絵画の意味について主に書いたわけですけれど、絵画療法を自分はあまりやりません。というのも大人の方であれば言葉で十分やり取りできるし、説明もできるので絵画を挟み込む必要があまりないからです。それに皆さん絵は得意ではないのでとおっしゃることが多く、無理強いをしてまでやる必要は全くありません。
でも、大人でも絵画療法を行うことがあります。それはなぜでしょうか。
絵画療法とは
絵画療法には、退行を促し、カタルシス(浄化作用)を高めるのだとかなんとか言われていますが、私は、そういうことはあまり重要ではないのではないかと思っています。
一般に、絵画表現によって何か内面的なものが絵に表され、昇華されることで治療的効果をもたらすのだと考えられがちですが、実際とのところ、絵画療法において一番の意義を感じるところは、絵をかいてもらう、あるいは絵を私とクライエントさんの間に置くことで、同じものを見て話し合える場を作ってくれることだと思います。
つまり、「絵それ自体」ではなく、「絵を描くこと」で、私とクライエントさんとの間に絵の言葉が生まれて、それが何か話し合えることにこそ、意味があるのではないでしょうか。
絵を描いただけで何かがわかるということはない
しばしば、絵をかいてもらったときに「これで何がわかるのですか」といわれる方があります。それは、「こんなもので分かってたまるか」ということでもあるでしょうし、「もっとわかってもらいたい」ということかもしれません。「見透かされるのではないか」という不安もあることでしょう。ともかく、いろいろな思いや不安があることは事実です。
しかし実際のところ、絵をかいてもらっただけで分かることというのはほんのわずかしかありません。むしろ、「これは何ですか」などと絵について説明をしてもらう作業の中で得るものの方がはるかに大きい。それまで言葉のやり取りでは出てこなかった話や、絵にして初めて見えてくるものというものがあるからです。好きな色、好きな天気、語られなかった家族の存在、そんなものが、絵を通じたやり取りの中で出てくることがよくあります。
絵を描くことは、一つのコミュニケーションであり、絵について話し合うこともまたコミュニケーションであると思っています。そのような、絵の持つコミュニケーション性こそ治療的なのだと思います。
絵を通じたコミュニケーション
カウンセリングにいらっしゃる多くの方は、コミュニケーションに悩まれていたり、自分を見失われていたりすることが多いわけですが、自分というのは他者抜きには存在しえないもので、他者とのコミュニケーション抜きに、自己を振り返ることは難しい。
第一、私たちは自分の顔を直接見ることができないようにできているのですから、自分を振り返るのには道具がいる。顔を見るときには鏡を使い、自分を位置づけるためには他者とのコミュニケーションを使うことで、初めて自分が位置付けられるわけです。しかし、ここで野コミュニケーションは時に結構大変なことになる。近くなったり、遠くなったり、距離がわからなくなる。
絵が間に挟まるということの意味
このとき、絵という物理的な存在が間に挟まることは、物理的にも距離が決まるし、見るものを共有することができる。ずれを調整できるわけです。しかも絵はあくまでも絵ですから、絵について話し合うことは私たちにはできるのです。
そうやって絵について話し合うことによって生まれてくる言葉が、カウンセリングの展開に大きくかかわってくることもしばしばあります。
絵を通じた気づきがある
かつて、樹木の絵をかいてもらったことがありました。うつの問題を抱えておられた方でしたが、不自然に横に伸びた木をお描きになりました。なんだか重く押しつぶされているように見えて、そのようにお伝えすると、ぽつりぽつりと複雑な家族背景のなかで、押しつぶされている思いについて話すようになりました。
また、別の方は、多忙のために抑うつ状態となり、早く仕事に復帰しないと、と焦っておられる方でした。お会いしてまもなく、やはり樹木を描いてもらうと、枝がすべて上に向かって伸びる樹を描きになりました。枝が細く背伸びをしている風だったので、復帰は急がれないほうがいいのかなと思いながらカウンセリングを続けました。
しばらくして、職場復帰のめども立ち、終結を迎えようとした頃に、ふと「あの時の樹の様子を見て、ここまで一気呵成に伸びようとしなくてもいいんじゃないかと思った」と振り返られたのです。面接の中では以下にゆとりを取り戻していくかがテーマとなっていましたが、絵が呼び込んだイメージが面接の動機づけになっただとわかり驚かされたことがありました。
またある人は、一見すると若々しい生命力の歩きを描きましたが、お話を聞いてみると、この木は「実は枯れ木で、じきに枯れてしまう」ことをお話になり、この方の抱える空虚さに驚かされたこともありました。
「言葉の接ぎ穂」としての描画
このように絵は、見るものにイメージをもたらし、言葉を生み出すものだといえます。その意味で、絵画療法における絵は、コミュニケーションのための素材となるものだと私はとらえています。
まとまらず、話しにくかったものに形を与えるのが絵です。絵をついて語ることで、私たちは自分の気持ちを語ることができるようになります。中井の言葉を借りるならば、絵は「言葉の接ぎ穂」となり、次の新たな言葉を生み出す呼び水となるのです。
大人の方でも絵画を用いるのは、うまくまとまらない気持ちを絵にされることで、気持ちをまとめる語る、第一歩となることがあるからです。だから、絵画療法には、絵がうまいとか下手とかは関係ないのです。
絵は、絵それ自体よりもコミュニケーションを生み出す触媒であり、当相談室では対話が始まります。コミュニケーションの中で傷ついた人は、コミュニケーションの中で、回復をしていくものなのです。