こんにちは。ひがしすみだカウンセリングルームです。
今回は、なぜカウンセリングが「共感的な理解」から始まるのかについて、自己心理学の理論を踏まえて考えてみたいと思います。
自己不全感の背景にある共感の欠如
自己心理学では、自己不全感の背景には、発達早期の共感の不全——すなわち、子どもが自分の感情や存在を十全に理解され、受け止められる体験の不足——があると考えます。
完全な親などいないという前提に立てば、誰しも程度の差はあれ、共感不全の体験をしています。しかし、人は成長の過程で、親以外の他者や物との関わりのなかでそれを補っていきます。コフートが「自己対象(selfobject)」と呼んだ存在が、それを可能にします。自己対象とは、自己の一部のように機能し、自己のまとまり(凝集性)を保つ手助けをしてくれる他者のことです。
たとえば、子どもが「見て見て!」と何かを成し遂げたとき、親がそれに笑顔で応えると、子どもは「自分には価値がある」と実感します。しかし、「そんなのたいしたことない」と冷たく返されれば、その感覚は内面に定着しません。このような体験の繰り返しが、自己の強さを育むかどうかの分かれ道となるのです。
共感的な自己対象体験が欠如していたり、十分でなかったりすると、自己の凝集性が保てず、構造的な弱さが残ることになります。すると、自己は分断されやすくなり、「自己の断片化(fragmentation)」が起こりやすくなります。
断片化とは、自己がある程度のまとまりや一貫性を保てなくなり、自分の中に統合された「私」という感覚を失ってしまう状態を指します。このような状態では、自分が何を感じているのか、何を考えているのかが把握しづらくなり、自他の境界もあいまいになります。
たとえば、ある場面では堂々と話せていたのに、別の場面では急に自信を失い、極端に引っ込み思案になってしまう。あるいは、ある人には感謝や親しみを表現できるのに、別の人には強い敵意を感じてしまう——といったように、自己の側にある感情や態度が極端に断絶してしまうのです。
このような断片化が起きていると、クライエントは自身の内面を安定して保持することができず、強い不安定感や抑うつ感を抱えたり、突然の爆発的な怒りを経験することもあります。そして、そうした感情の揺れ動きに圧倒されることで、自分という存在が危うく感じられるようになります。
そうした不安を埋め合わせるために、人は外からの賞賛や注目を求める「保証作戦」に出ることがあります。これは、いわゆる「承認欲求」と呼ばれるものの背景にある心理的動きと言えるかもしれません。
自分のまとまりを取り戻すために
一般的に、カウンセリングでは「傾聴」や「共感」から始まります。それは、断片化した不安定な自己を安定させ、ある程度の凝集性を回復させることが、他の心理的課題に取り組むための前提となるからです。
たとえば、ある方は「人と話すと、自分の考えがまとまってくる」と語りました。これは、話を聞いてもらう中で、自分の考えを言語化し、その反応を得ることで自己の一貫性を取り戻す体験が起きていると考えられます。
また、ある若年のクライエントは「誰かにちゃんと聞いてもらったのが初めてだった」と語り、それがきっかけとなって「何を話しても否定されない」という感覚を持ち始めました。こうした体験は、まさに断片化した自己に統合の手がかりをもたらすのです。
共感によって、「私はこう思っていたんだ」と自己の内容に気づいたり、「こんなふうに受け止めてもらえるんだ」と実感したりすることは、自己の統合と安定の第一歩となります。そうした確かな実感があってこそ、行動への変化や現実への対応力も生まれてくるのです。
不安定な自己に「壁」を築く
不全感を抱えた自己は、あたかも柱しかない建物のようなものです。感情や思考を保持するための「器」が整っていないため、感じたこともこぼれ落ちてしまう。そうなると、自分自身が何を考えているのか、何を感じているのかがわからなくなり、不安や混乱を引き起こします。 そこで必要なのが、共感という「壁」を少しずつ積み重ねていくことです。
それにより、自己の構造が安定し、ようやく内的な家具——すなわち価値観や目標、感情の整理など——を置ける空間ができます。
実際に、ある引きこもりの状態にあった青年は、最初の数か月は言葉数も少なく、何を考えているのかもわかりづらい様子でした。しかし、ただ話を聞き、少しずつ反応を返す中で、「こんなことを思っていたかもしれない」とぽつりと話すようになりました。それが彼にとっての「壁の第一枚」だったのかもしれません。 自分という建物をどのような建物にしていくかは、もちろんクライエント自身が決めていくことですが、まずは土台を築くことが必要です。
こうした土台作りの作業があってこそ、その後のさまざまなアプローチや技法が効果を持ち始めるのだと、私たちは考えています。