ひがしすみだカウンセリングルームです。
今日は、カウンセリングを共感的理解から始める理由について考えます。
自己不全感の背景にある共感不全
自己心理学では、自己不全感の背景に、養育過程における共感不全の問題を仮定します。共感不全は誰もが抱えており、それを親以外の他者による共感や理想化によって埋め合わせ(自己対象機能)、自己のまとまり(凝集性)を高めるとしています。ウィニコットの言う通り、完全な養育者は存在しないため、共感不全は誰しもが抱えています。それを物や他者から補うことで、自己というものを形作っていくことになるといわれています。
これが補われなかったり、不十分であったりすると、共感不全によって、自己のまとまり(凝集性)を低下させ、自己の構造化不全を起こします。結果、まとまりを欠いた自己は、バラバラになり、断片化を引き起こしやすくなります。
自己がバラバラになってしまうと、一貫して世界に関わることが難しくなってしまうことがありますし、自身の喪失や、自尊心の低下、などにつながっていきます。この不安を修復しようとして、人は賞賛や関心を得るべく、決死の保障作戦を開始するわけです。いわゆる承認欲求のようなものはこうしたものを背景にしている可能性はあるのかなあと思います。
自分のまとまりを取り戻すために
一般にカウンセリングは傾聴や共感から始まるわけですが、これは断片化した不安定な自己を安定させ凝集性を高める必要があるからです。ある程度のまとまりを持つことで初めて取り組めることができたり増えたりします。迂遠に感じるかもしれませんが、安全にカウンセリングを進める上で必要なことです。
共感的理解のように、「話を聞いてわかってもらえる体験」は、自己の考えを意識し、自己のまとまりをちょっとだけ高めることになるのかもしれません。自分を振り返ってみて、「自分はこんなことを考えていたのか」と考える体験をもたらしますし、確認をされることで、その考えが保証されたように感じることは、しばしば体験します。そういった確かな体験をもとに、私たちは内省したり、行動したりすることにつながるのではないだろうかと思います。
不安定な建屋を補強していく
カウンセリングが共感で始まるのは、揺らいでいる自己が安定し、まとまりをもつことで、自己の内面を探索したり、現実に対処する動機づけを確かにして言ったりする下準備に欠かせないからなのです。
不全感を抱えた自己、というのは、柱しかない建物のようなものです。気持ちを抱えるのも難しいし、感じた気持ちも、柱の隙間からこぼれていってしまう。それでは、自分の考えていることがわからなくなってしまいます。それゆえに不安となってしまう。それでは、何かを始めるにも手が付けられない。
そのために共感という薄い壁を重ねて、自己構造という建物をしっかりとさせていく。建物がなければ、家具も置けませんし、そもそもどんな家具が似合っているのか吟味もできません。
どういう建物にしていくかは、クライエントさん自身が決めていくことですが、まずは足固めをすることから始めなければならないのは、何事もそうであろうと思います。そのうえで、様々なアプローチが生きてくると私は考えます。