対人恐怖―自分が見えなくなる病理
対人恐怖は、主に「他人がどう思っているかが怖い」という訴えをとることが多いですが、実は他人がどう思っているかわからなくて怖いというより、どうやら自分のことがよくわからないことから起こる病理のようであるらしい。対人恐怖の主な症状として、「劣等恐怖」「被害恐怖」「自己視線・醜形恐怖」「孤立・親密恐怖」「加害恐怖」などがあると考えられています。対人場面において不当に強い不安が生じる背景のひとつに,自分や他者の心を推し量ることに失敗するという問題があるのだろうと考えられます。
その中で、自分の感情をコントロールしたり他者の感情を推測したりすることが困難であるために,対人関係上のトラブルが生じ,そのようなネガティブな体験を繰り返すことで他者との交流における不安が高まることがしばしばあるのではないでしょうか。
メンタライゼーション
自分や他者の感情の理解に必要な能力として、近年「メンタライゼーションという概念が注目されています。メンタライゼーションとは,自分や他人を「感情や欲求,意図や信念といった心を備えた存在」として捉え,自分や他者の行動を心の状態に関連づけて解釈する能力のことです。端的に言えば自分や他人の行動を心の状態の面から理解する能力といえるでしょう。
対人恐怖は自意識過剰などといわれたりもしますが、自己に対する関心が強く向きすぎて、それが抱えきれなくなって、自分を批判的に見るまなざしが、他人の目を借りて自己に向けられている病理なのでしょう。つまり、自分で「自分には自信がない」と思うのが大変すぎて、他人が自分を見ているのだろうとする心の働きの結果と言えるところがありそうです。
対人恐怖は、自己愛との関連について語られることも多くあります。岡野(1998)は,対人恐怖の問題を自己愛という観点から議論し,対人恐怖を経験しやすい人には,他人に認められたい,評価されたいという人一倍の欲求があり,その欲求に圧倒される形で対人場面での恐怖感が生まれると述べています。ある種の自己愛の問題を抱えていたとしても、対人恐怖に至らない人もいるわけで、それはなぜだろうと調査をしたことがあります。
他人の気持ちよりも自分の気持ちを理解する
調べてみると、対人恐怖の緩和に対して、メンタライゼーションが対人恐怖を緩和する可能性があることがわかりました。しかも興味深いことに、対人関係の特徴である「劣等恐怖」「被害恐怖」「自己視線・醜形恐怖」「孤立・親密恐怖」については、他人の心を推し量るよりも、自己の感情を捉えたり、理解する「対自的メンタライゼーション」の方が、緩和効果が強いことが分かりました。他人の心を推し量ることで緩和されるのは、加害恐怖だけで、対人恐怖が、自己理解を巡る病理であることを示しています。
自己評価が不安定で自分に自信がなく、対人恐怖心性が高い場合、自分の感情がどのような経緯で生じているのかの理解を深めることが重要です。自分の感情を言語化し、出来事の状況に即した理解することで、自分の能力の評価や意思表示を適切に行うことができるようになっていきます。その結果、対人恐怖心性が緩和されるということではないかと思います。対人恐怖の強い方は、自分の感情がよくわからない傾向があるのかもしれません。不思議なことに他人の心情を推し量る対他的メンタライゼーションの相関は弱いので、力点は自分の感情の整理にあるようです。
調査はまだ未発表なので、いつかまとめられればと思ってます。
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