ひがしすみだカウンセリングルームです。
今日は、子どもの遊びにおける発達的意義について
遊びの語源を紐解くと、古くは「神遊び」などという言葉が示すように,神をもてなすため,あるいは神とともに人間が楽しむための神事であったといわれます。漢字の〈遊〉は〈辵と,ゆれうごく意と音とを示す斿(ゆう)とから成り,ゆっくり道を行く,ひいて‘あそぶ’意を表わす〉(小川環樹・西田太一郎・赤塚忠《新字源》)。ゆらゆらと動き回ることから遊びは始まります。乳幼児にとっては身体をよじったり、寝返りをうったり、ハイハイし、立って歩くことも遊び的な側面(筋肉感覚を味わう)を持っているのかもしれません。
発達心理学における遊び
遊びは発達心理学的には非常に重要な意義のある活動で、認知・社会的発達、情緒発達の源であるといわれています。遊びは、発達に伴って、感覚的な遊びから物語的遊びへ発展していくわけですが、ごっこ遊びを通じて、相手の立場を考える「心の理論」の獲得や自己主張に繋っていくことが明らかになっています。
発達心理学者のピアジェは、遊びの発達を大きく3つに分類しました。
①「機能遊び」(感覚刺激や身体運動が目的となる遊び)
②「象徴遊び」(模倣、見立て、ごっこ、空想などを伴う遊び)
③「ルール遊び」(ルールのあるゲームなどの遊び。※鬼ごっこやトランプ)です。
この中でも、とりわけ、ごっこ遊びには、言葉の発達、認知・社会的発達、情緒的発達がさまざまな形で表現されていいます。ままごとなどは、家庭の観察・模倣の機能が成立することで起こってくる高度な遊びと言えます。ままごとの中で見られる「ふり」(遅延模倣)による他者のしぐさの再現は、イメージを思い描き、それを保持し、実行することとができるようになったことを意味しています。
また、積み木のおもちゃを車に見立てるような見立て遊びは、空想的世界をモノに仮託してファンタジー世界を楽しんでいることを意味しています。たった一つの積み木であっても、子どもはそこに自分のファンタジーを仮託し、豊かな創造世界の中に身を置くのです。,2-3歳ころになると、遊びに物語性が出てくるようになる。テーマのある遊びが次第に増えてきて、5歳頃になると、現実の模倣だけでなく、ファンタジー世界を共有し、ともに遊ぶ様子がみられるようになってきます。
子どもの遊びにどう向き合うか―鏡映
子どもとかかわるときは、そのような表現として遊びを理解することが重要となってきます。またこの遊び体験が照らし返し(共感を持って保障されること)されることで、自己の在り方を受け入れられることになります。
そういった情緒的な応答が、子どもの自尊心を強め、色々なものに挑戦していく気持ちを強めていきます。こうした遊びを通じて、子どもは人間の相互交流や、情緒交流を図り、心の理論を構築し、自己主張について学習をしていくのです。こうした遊びにおいて重要なのは、『母親と子どもの関係性の発達』だと、精神分析家のウィニコットは述べています。
遊びの意義深さは、人間だけのものではありません。例えば、盲導犬の候補となった犬が訓練を受けるためには、まず、子供時代にパピィウォーカー(盲導犬の幼犬を預かる家族)の家の子供にしこたま遊んでもらわないとだめなのだそうです。しっかり大事にされた感覚を養うことが、訓練に耐え、自己統制につながる犬へとなるうえで重要なのです。人間に親しみ、人間に愛されているという確信を得ることが不可欠というのは大変に興味深いことだと思います。
遊びはまさに生物的に必要な要素なのだと思ってよいのだろうと思います。
完ぺきではなく、程よく
このように、遊びとは自己コントロールには大きな役割をはたすものといえるわけですが、ここまで見てきた通り、ただ一人で遊ぶのではなく、遊びの中で重要な対象から情緒的に応答され、ファンタジー世界が保障されることが必要なのだとわかります。
ただ、この時、完璧に母親が答えてしまうことは、母親は絶対的に依存させてくれるという万能的世界から、必ずしもそうではないことを受け入れ、自立していくことをかえって阻害してしまいます。
これについてウィニコットは、理想的な母親像として重要なのは『ほど良い母親(good enough mother)』、つまり、愛情を向けてくれているが、時には失敗もしてしまう、そんなありきたりの母親であることなのだと述べています。
なお、盲導犬は、役目を終えた後で、別の受入家族のもとで、十分にかわいがられながら、穏やかに余生を過ごすのだそうです。そんな人生はすてきだなと思います。
ホームへ