私論・心理療法論論

 

 公認心理師が誕生するにいたり、様々な心理支援、社会支援が今後行われていくと思いますが、臨床心理学に基づく支援だけでなく、福祉の理論に基づく支援も重要なものになっていくと思います。クライエントに資する支援は連携することを前提に何でもやっていこう、というのが公認心理師のお仕事になるわけですが、そのときに、心理支援とはなんだろうかということがふと思い起こされることがあるのです。

無論、心理支援とは何かについての多くの書物はありますが、心理療法と呼ぶものは何か、という本は案外ないのです。 そこで、ひとつ心理療法論、ではなく、心理療法論論を試みてみようと思います。

心理療法で「ある」とはなにか

 しばしば、これこれは心理療法で「ある」、とか「ない」とかで議論になることがしばしばあるのですが、いつも違和感を持っていました。そもそも「臨床心理学」、「心理療法」とは何で、どうして私達にはそれが「心理療法的である」とわかるのか、というのはずっと疑問でした。

 私が大学院生だった15年ほど前、心理療法は400以上ある、とよく言われていました。今数えたらもっと多いのかもしれませんが、それには当然背景になる理論が会って、その背景にはそれぞれの人間観があるということでしょう。それだけ人間が多面的だということなのでしょうが、一方で心理療法とひとくくりに言ったときに、心理療法について説明するのがひどく難しいことに気が付きます。一般に心理療法は、「臨床心理学」を背景にした、支援技法の総体として理解すればいいのではないかと思うのですが、この「臨床心理学」というのも厄介なもので、やはり、これも一口に説明できません。アメリカ心理学会が1934年に「個人の適応に示唆と勧告を与える応用心理学の一部門」と定義をしていますが、これでは中身が何だかよくわかりません。

 臨床心理学は心理学と冠する以上、心理学の一様体と言えるのですが、心理学自体も、様々な分野の寄せ集めでできているので、これが心理学だ、と一言で言うのはかなり難しい。その、1領域であるにもかかわらず、400以上もの理論があるというのですから、一口で心理療法とは何かについて説明することはすごく難しい。

 でも、ひとつ不思議なことがあります。私達は心理療法とは何かということは明確にはよくわからないけれど、あるものは心理療法である、これは臨床心理学的である、これはケースワーク的である、そういったことはわかるし、逆に、声は臨床心理学的ではない、あるいは心理療法的ではない、ということがわかるのです。特に、これが心理療法的ではないとか、臨床(心理学)的ではないということはすごくよく分かる。明確に違いを説明できないけど、これがそうである/そうでない事がわかるというのはひどく不思議なことだと思います。

家族を見分けるかのように

フーコーは、ある学問の振る舞いやものの見方、方法論、価値観のまつわる暗黙のルールを「学範dicipline」と呼びましたが、そうであるもの、ないものを何故区別できるのか、についてをうまく説明できる感じがありません。

 精神科医の中井久夫は、かつてヴィトゲンシュタインの「家族的類似性」という概念をもってこれを説明しようとしました。これもある種の暗黙のルールについて説明する概念です。これがどういうものかというと、例えば、親と子が似ていることとか、おじさんと子供が似ているのがわかったり、似ていないとわかったりするあの感じのことを言うそうです。たしかに親と子が似ていることはなんとなくわかりますけど、似ているところを明確に定義づけることは難しいもので、どこがどんなふうに似ていますかと問われると、言葉では説明できない。だけど、かなりの高い精度で、家族かそうで無いかについての区別はできるみたいなことはしばしば経験されることであろうと思います。こういう現象を「家族的類似性」といいます。これもまた明文化できない暗黙のルールによって、我々が何かを区別していることを示しています。

ポランニーの議論

個人的にしっくり来るのはポランニーのいう「暗黙知」という概念でしょう。彼は、我々が何かを区別するときに、何かの基準を持って判断しているのではなくて、そうでないものお参照することによって、そうであることがわかるのだと言っています。

 ポランニーの言葉を借りれば「私達が第一条件(筆者注近位;対象とするもの)について知っているということは、ただ第二条件(遠位;対象でないもの)に注意を払った結果として、第一条件について感知した内容を信じているということに過ぎない」ということになります。つまり逆説的に聞こえるかもしれませんが、「そうでないものを見ることによって初めて、そうであるものがわかる」ということになります。

 ポランニーの説明は臨床心理学や心理学が何ものであるか、を理解するときに非常に有用な理論であろうと思いますし、これを見て、なぜ私が、臨床心理学とは何かを説明できないのに、これが臨床心理学だとわかるのか、あるいは心理療法となっている/なっていない事がわかるのか、ということの手がかりを得たように感じました。

心理療法とはレリーフのごときものである

 つまり、臨床心理学や心理療法である、ということは、「そうではないもの」からしかわからないものであり、逆説的に「これがそうだ」と説明できないものだということです。もう少し柔らかく言えば心理療法はなにかの影からでしか見えないものだ、ということになるでしょう。あるいはレリーフのように掘った結果、浮き上がってくるなにかであり、なにかそうでないものを通じてしかわからないものだといえそうです。心理療法とは「そういうもの」なのだと思います。

 今後もう少し精緻に考えていければと思いますが、今回はとりあえず備忘録ということで。そのうち加筆していきたいと思います。


【参考文献】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカジャパン

中井久夫. (1982). 精神科治療の覚書. 日本評論社.

マイケル・ポランニー, & 佐藤敬三. (2003). 暗黙知の次元. ちくま学芸文庫.

 

 

 

 

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2019年03月04日