ひがしすみだカウンセリングルームです。
当相談室には猫先生がおりますが、自宅も別に猫を飼っています(同居しているという方が正しい)。当地は、地域柄、地域ねこ(TNRされた猫)、野良猫などが多く、猫を見かける機会が多くあります。猫と暮らしている中で、気が付いたことがあります。
それは、アスペルガーの子と猫って似てるな、ということです。
猫というと、人になつかない自由な動物といわれることが多いですが、それはもともと、彼らの狩りの形態に端を発するといわれています。
待ち伏せ型-うまくいった場所へのこだわり
肉食動物は一般に、追跡型と待ち伏せ型とがあり、同じネコ科でも生態によって、狩りのタイプが違います。チーターなんかは追跡型の最もわかりやすい例だと思いますし、ジャガーのように木の上で待ち伏せて、獲物が通ったらさっそうと飛び降りて狩りをするのが待ち伏せ型の例です。
狩りの仕方も、単独で行うもの、集団でおこなうもの様々おり、集団で狩りを行うライオンなどは比較的社会性があるようです。そのような生存の形態によって社会性や他者との関係のとり方には必然的に違いが生じてくるようです。
猫は基本的に、単独で待ち伏せ型の狩りをする生き物です。個体間の交流はあまりなく、狩りの場所が重ならないように個体がそれぞれなわばりをもち、そこから出ることは滅多にありません。縄張りの外はほかの個体の縄張りで危険だからでしょう。出会えば縄張りをかけた戦いになってしまいます。ねこの喧嘩というのも独特で、直接戦いあうのではなく、にらみ合いをします。互いをじいっと見つめ合うことは、非常に緊張の一瞬です。緊張がピークに達して、弱い方が目を背けると、戦いはそこで終わります。目を背けた時は、負けのサインなのです。
逆に言えば、猫と目を合わせることは、猫の強い緊張を強いる行為だとも言えます。ようは「ケンカを売っている」行為になるので猫は嫌がります。野良猫を見つめて嫌われた経験のある人も多いでしょう。猫とは目を合わせないコミュニケーションが安全なのです。こういった理由から、目をつぶることが猫流のあいさつになるのです。
行動にはそれなりの理由がある
よく猫を飼っている方で、叱ったときに目をそらすので「聞いていない!」と思ってさらに叱った、という話を耳にしますが、わかったかはともかく、猫にとって、目をそらす行為は、ごめんなさいの合図なのですから、猫自身は悪いことをしたと理解したこと伝えています。そして猫はするりと逃げ出し、毛づくろいを始めます。毛づくろいは、猫にとって、気持ちを休めるための行動なのですが、そんな場にそぐわないような転移行動(スリップアクション)を見ると、飼い主はさらに怒り、猫との距離がますます遠ざかってしまう…。猫は本能に従った行動をしているだけで、悪気もないのですが、怒られてしまうのですね。
基本的に猫は社会性を身に着けるタイプの生き物ではないので、人間の社会観の外にいます。集団行動にも向きません。自分の縄張りが決まっていて、その外に出ることには極めて慎重になりますし、縄張りの中で何か変化があることを嫌います。そしてそういった変化に過敏になるようにできている。こうした本能的な部分を猫は連綿と継承していて、今でもその片鱗を持っています。ねこは一人で過ごすのはできる生き物ですが、その在りようが、いつもと違うとすさまじいストレスを感じてしまいます。
変化を嫌う
また、単独の待ち伏せ型生活をしてきたため、猫は変化を嫌い、決まった行動を好みます。それは得てして、「いつもと同じ」ことを確認することで、安心することにつながります。また、気に入らないことがあると、それをとことん拒否しようとします。例えば猫砂の感触が気に入らなければそのトイレではおしっこをしようとしませんし、フードのにおいや触感が気に入らなければ、おなかがすいてもそのフードを食べようとしません。「いつもと同じこと」「危険を察知したらとことん避けること」そうした行動は猫が生存するうえで、欠かせない安全確保戦略であるのでしょう。簡単にそれを調整して曲げるできないのが猫という生き物です。生物学的にどのようなつながりがあるのかは私にはわかりませんが、こういう側面もまた、自閉性障害のこだわりのもつ一面なのかなあと思うことがしばしばです。
いつもと違うフード、水がきれいではない、トイレが清潔ではない、飼い主の雰囲気がいつもと違う、家庭内の空気が違う、新しい猫が増えた、家具の配置が違う、引っ越した、知らない人にさらされた、いつもよりうるさい等々、猫は変化に敏感です。過敏とさえ言ってもいいかもしれません。何とか安全確保戦略で立て直そうとしますが、それに失敗するとき、猫はひどいストレスになります。
高ストレス下の猫は過剰なストレス対処行動をすることがあります。緊張緩和のために毛づくろいが過ぎて、毛が剥げてしまったり、トイレでできないのでお漏らしをしてしまったり(不満があるときにもしますが)。吐いたり、絶食したり、固まって動かなくなったり、まあいろいろなことをしてくるわけです。
うまく言えない
こんな時、人間ならば、「これが嫌なの」と言えば対処できるのでしょうし、励まされながら妥協をして、環境に合わせることもできるのでしょうが、猫はそこまでの柔軟性の余裕はないので合わせることはできません。言葉を発することもできないので、何がストレスなのかわかりません。猫を飼う以上は、猫飼いは、猫がストレスにならないように配慮する必要があります。
好みに合ったフード、新鮮な水、きれいなトイレ、適度な交流、規則正しい生活、これまでと同じ生活空間の配置(家具の位置が変わっただけで猫はストレスを感じます)を心掛け、猫が粗相をすれば、何かストレスにさせてしまったと詫びなければならないのです。そもそも飼い主の生活にあわさせていることが、無理なのですから、そのことを踏まえて付き合わないと、猫といることはできないのです。
行動様式の類似
猫の話ばかりしてきましたが、この特徴とアスペルガーの方の行動形式はよく似ているなと思います。視線が合いづらい、過敏である、社交性が乏しい、挙げればきりがありませんが、その在り方は単独行動のネコ科の生き物在りようとよく似ているように感じます。
猫と異なることは、猫は、猫であることを許されているのに、アスペルガーの人は、そうであることを認められず、社会の中で生きることを定められていることにあります。猫であれば、猫の過ごしやすいように環境を整えることに人間は何ら不平を言いませんが、人間に対してはそのようなことは言わない。こうしたところにもアスペルガーの方の生きづらさがあるように感じています。
ところで猫も社会性を身に着けないわけではありません。ちゃんと人にもなつくし、声を聴き分けて飛んでくることだってあります。環境に対するこだわりであっても、徐々に変化していけば受け入れることができます(フードや砂を変えるときは、もともと使っていたものに、徐々に新しいものを混ぜながら移行するなどの工夫をします)。よくないことをしたときに、両手で大きな音を立てるなどをすればしつけることもできる。コミュニケーションの仕方を適切にする工夫をまず考える必要があるのではないでしょうか。
共生には環境づくりが大事
時に猫は、失敗だったり、人間にとって良くないことをすることがあります。部屋の備品で爪とぎをしてしまったり、トイレでないところにおしっこをしてみたり、噛みついてみたり。しかしよく考えてください。猫はどうしてそんなことをしたのでしょうか? それができる環境にあったからやったということは考えられないでしょうか。猫にいたずらさせないためには、いたずらしようのない環境づくりが欠かせません。できないように構造化された空間では、動き方がおのずと決まってきます。また、猫はストレスに弱い生き物で、何か問題行動が起こったときは、ものの配置が変わって行動パターンを変えなくてはならなくなった、飼い主の不在がストレスになっている、飼い主の生活パターンが変わったなど、変化がストレスになることがしばしばです。猫の問題行動を抑えるコツは、こうしたストレスを可能な限り排除することが重要です。
猫とかかわるときは、こちらの勝手でかかわることをしません。彼らには自分のペースがあり、それを侵されることに強いストレスを感じるからです。特に不慣れな猫とは、急に距離を詰めずに、じっくりゆっくりと関係を作ります。猫がやってこないときに近づくのはよくありません。猫が寄ってきたときに十分に受け止めることがかかわりの基本になります。放っておかれるのが好きな猫ですが、必要な時にはひとをもとめるものです。
まとめ
こうした猫の特徴は、アスペルガーの子供に通じるところはないでしょうか。変化を嫌い、同じことに安心するのが猫とアスペルガーの特徴です。自分のペースと好奇心を愛し、それ以外の変化を恐れる。ストレスが生じれば、行動で表現してしまう。猫であれば、環境を調整する必要であることを認めることは容易なのに、人間であったらこうはいかないのでしょうか? わたしは、そんなことをよく考えています。
もちろん猫と人は違います。しかし、猫に接するやり方が、アスペルガーの子供たちに接する際に役に立つのではないか、そんなことを考えるのです。アスペルガーの方を猫扱いすることを勧めるわけではありませんが、アスペルガーの方との円滑なコミュニケーションを考えるうえで、彼らの猫らしい特性に注目してみてはいかがでしょうか。何かかかわりののヒントがあるかもしれません。
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