こんにちは。ひがしすみだカウンセリングルームです。
「自己愛」と聞くと、どんな印象を持たれるでしょうか? 「自分に酔っている」「自己中心的」「プライドが高い」——そんなイメージを抱く方も多いかもしれません。
でも実は、自己愛とは、生きるために欠かせない大切な心の資源です。
自己愛とは「自分を大切に思う力」
本来の自己愛とは、「自分には価値がある」「私はここにいていい」と感じられる力のことです。人との関係の中で育まれ、自分自身を安心して生きるための土台となります。 この「安心していられる感覚」は、子ども時代に繰り返し「受け止められた」経験の中で少しずつ育ちます。たとえば、落ち込んだときに気持ちに寄り添ってもらった、がんばったときに「よくやったね」と認めてもらえた、そういった体験の積み重ねが、「自分はそのままで大丈夫」という感覚を心の奥に根づかせていくのです。
自己愛がしっかりと育っている人は、人との違いや失敗を前にしても、自分を見失わずにいられます。逆に、この自己愛が育ちきれなかった場合、人は不安や孤独、怒りや不全感を抱えやすくなっていきます。
自己愛の傷つきと「自己の修復」
こうした心の働きを理論化したのが、アメリカの精神分析家ハインツ・コフート(Heinz Kohut)です。彼は「自己心理学(Self Psychology)」という考え方を打ち立て、「人の心(自己)は他者との共感的な関係のなかで発達し、崩れ、また修復されていく存在である」と述べました。
コフートによれば、子どもは「自分を誇らしく思ってほしい」「見ていてほしい」といった願い(=自己対象欲求)をもっています。これが親や周囲の大人に受け入れられ、応答されることで、自分に対する信頼(=健全な自己愛)が育っていくのです。 しかし、そうした願いが無視されたり、否定され続けたりすると、自己は安定して育つことができず、「心の骨組み」が不安定なまま大人になります。
そうすると、自分をなんとか支えようとして、
「自己愛を肥大化させる」
「他人からの賞賛を過剰に求める」
「注目を浴びようとする」
「逆に人と関わらないように引きこもる」
といった行動が見られるようになります。
コフートは、こうした心の動きを「自己の修復」と呼びました。傷ついた自己がバラバラにならないように、なんとかまとめあげようとするこころの働きです。
一見「わがまま」に見えるその行動も、実は防衛
たとえば、必要以上に自分を大きく見せたり、人の注目を浴びようとする人がいます。あるいは、他人からの評価をひどく恐れて、引きこもったり、人を遠ざける人もいます。 こうした行動は、外から見ると「自信過剰」や「自己中心的」「他人に興味がないように見える」かもしれません。でもその奥には、「これ以上傷つくのが怖い」「空っぽになってしまうのを避けたい」といった、切実な自己防衛の気持ちがあるのです。
つまり、彼らの行動は「わがまま」ではなく、「壊れそうな自己」をどうにかして守ろうとするこころの努力なのです。
修復がうまくいかないとき、人はどうなるのか
しかし、この「自己の修復」も、限界があります。 自己を守るために使われるエネルギーが大きすぎると、心は慢性的に疲弊します。また、どれだけ頑張っても賞賛や共感が得られないと、「自分には価値がないのではないか」と感じ、抑うつ的になったり、怒りを爆発させたりすることがあります。
「誰も私を認めてくれない」 「こんなに苦しいのは、まわりのせいだ」 そんな気持ちがあふれ出すと、自分自身や他人を攻撃してしまうこともあります。けれどそれもまた、「助けてほしい」「つながっていたい」という、心の奥にある願いの裏返しなのかもしれません。 こうした自己の不安定さがどのように抑うつや怒り、ひきこもりといった行動につながっていくのかを、いずれ、もう少し掘り下げてお伝えしていきます。