コロナ禍と根こぎ体験

ソーシャルディスタンス、リモートへの移行といった出来事の中で、雑談をする機会も場所も減ったと思う。

コロナによって、偶発的でインフォーマルな交流が減ったことで明らかになったのは、我々がそういった「ひげ根(中井久夫)」によって随分と支えられていた、ということだろう。

見えない根の重要さ

ひげ根がやられてしまうと、根は水をうまく吸えなくなって、植物は枯れてしまうという。正確に言うならば、これは、「ひげ根」ではなく「根毛」というのが正しいようだけれど、この根の先に無数に生えた産毛のような根は、土からの水や養分を吸収するのに大いに役立っている(実は主根、いわゆる根というのは水や養分を吸ったりするのがそんなに得意ではないらしい)。たとえ丁寧に引き抜いて一見根がちぎれていないように見えたとしても、根毛は傷つき。引き裂かれていて、植え直したところで、元のようにはなるまい。移植する木の周りの土を大きく掘るのはこのためで、パッと見てわからない根のネットワークを植物は張り巡らしている。それに根は植物も支えている。植物の背ほどに根を伸ばすものも少なくない。

見えないネットワークに支えられているのは人間も同じだろう。

例えば転居や転校、転勤、転職、昇進、入院といった、これまではりめぐらされた根のネットワークから引き抜かれ、断絶されてしまう体験を中井は「根こぎ」と呼び、その体験によって、植物よろしく弱り、自分を保てなくなる現象について言及している。

コロナ禍における根こぎ体験

今回のコロナの問題もまさにそうで、私達は張り巡らせた無数の根毛をうまく使えなくなってしまった。引っ越しならまだ、自分でコントロールできるから、少しは備えたりできよう。しかし、降ってわいたこのコロナの問題に対して、我々は心理的に備えようがなかったと思う(それは感染症対策という意味ではなく)。社会的距離の実践、リモートワークはフォーマルな対人活動を大きく損なわないかに見えたが、その影で、今や、立ち話や、偶然に行きあっておしゃべりするのも一苦労している。わざわざ電話をして話すほどではないけれど、会ったついでに話したいとか、その場で思いついたことをそこでふと話す、そんな些細なことのいかに多いことか。そもそも、「会ったときでいいや」がなかなかやってこないということがザラなのであるから。そうやって、生えかけたひげ根が使われずに退化していって、ストレス費廃棄ということもあって、人々の精神衛生は刻々と悪化しているように見える。

馴染みの場所の回復

統合失調症の退院患者のひげ根の回復について中井は言及している。一つところで深い関係を作るのではなく、あちこちに小さな拠点--馴染みの店や場所、あるいは人であったりするを持つ。それは同心円ではなく、オリズルランの子根がそこからじんわりと放射状に広がっていくようにネットワークが形成されるのだという。そういうものが自然に発生していく。それが回復なのだと。

コロナに限らず、対人関係の中で根こぎを体験されているクライエントさんは多いように感じる。相談室も、オリヅルランの子根になっていればいいなと思っている。

 

 

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2020年09月21日