発揚と発揚の終わり

 

ひがしすみだカウンセリングルームです。

今回は双極性スペクトラム概念で知られるアキスカル(H S Akiskal)の「発揚気質」とその周縁における抑うつの問題について考えてみたいと思います。

 アキスカルの双極スペクトラムの概念は、軽症軽躁状態までもその治療の対象としようとしたことで批判もありますが(仙波,2011)、彼の着目した「発揚」概念は、モーレツ社会を経験した日本人にとって、極めて馴染みの深いものなのではないかと思います。

アキスカルの発揚気質

 発揚気質の特徴は、過剰なエネルギーと過活動がまず挙げられます。睡眠は短く、多くの仕事をするのですが、疲れ知らず(感覚・感情機能の低さ)で非常に陽気といった、ポジティブな気分や気質が特徴です。彼らは非常に魅力的で、多くの仕事を残すのですが、感覚機能が抑制されすぎているために、疲れを知らず、精力的に活動します。時に過活動Hyper activityかと思えるほどです。

 特に青年期、成人期の過剰なまでの活動性は、身体に大きな負荷とストレスが加わります。然しこれはまだ心身が頑健だからこそできることであって、中年に差し掛かり、心身が衰えてくるころには発揚にも陰りが見え始めます。

 それはささやかな体の不調から始まることもありますし、抑うつの形をとることもあるようです。ここで、異変に気が付づき、自分の心身のペースを見つめ直すことができればいいのですが、発揚状態にある人は、ブレーキをかけることができず、衰えを埋め合わせるような過活動へ、あるいは若き日のような活動ぶりへの再帰を図ることが多いようです。不調や、疲労というものがよくわからないというのは深刻な問題です。結果、無理がたたり、心身の不調へと至ってしまいます。

事例(架空のものです)

 Aさん。60歳。若い頃は学生運動に身を投じ、大学卒業後は職場のエースとして活躍しました。勘ばたらきが強く、激しく自己主張をするので、人と良くぶつかるのですが、人懐こく、魅力的な部分があり、対立していた相手とも次第に打ち解けていくようなところがありました。

 40半ば、栄転となり、部下を育てながら、一線のプレーヤーとして活躍しました。職場はかなり遠く、長距離通勤を余儀なくされましたが、毎晩遅くまで仕事をし、飲み会をして終電で帰る生活が数年続きました。60を迎え次第に体力は衰えてきましたが、Aさんの過活動はやまず、40代と同じ生活が続きました。

 ある日、高血圧が見つかり、Aさんの無尽蔵であるかに見えた体力に陰りがみられます。しばらくして抑うつ的となりましたが、それでも仕事は続け、ある日、ついに脳血管障害に至ってしまいました。

発揚と感覚機能

 発揚というのは、一体何なのでしょうか。その心理学的な意味はさておいて、人生の前借りのようなものであることは、ご紹介したような事例からもよく分かると思います。

 自身の負荷に気がつくために必要な感覚は「疲れ」といえるでしょう。

 分析心理学のユングは、こうした体感や感覚に気がつく機能のことを「感覚機能」と名付けました。ユングのタイプ論において、人間の機能は、「思考」「直感」「感情」「感覚」に分かれるわけですが、感覚機能は、心身の感覚に気がついて行く機能のことを言います。この4つの機能には強く働く機能(優越機能)と、働きにくい機能(劣等機能)があるといわれています。

若い頃には自らを成長させていくために、これらの機能が偏って用いられていきます。特に直感機能が働いて、感覚機能が働かないでいると、疲れ知らずで、直感的にどんどん仕事をしていく、というような。しかし、人生の半分を差し掛かる頃、これまで働いてきた優越機能の勢いに陰りが出てきます。身体的な衰えとともに、劣等機能とのバランスをとって、人生の折り合いが求められるようになってくるのです。

これまで、心身を成長させるために捨て置いた部分を活用していかないと、老いという避けられない事態には対処できないのです。無理に気が付き、活動量を抑えたり、関わりを絞って深く付き合ったりと、限られたリソースをどう使っていくか。これを塩梅するときには、若い感覚のままでいることはかなり難しい。「感覚」のブレーキが働かず、「直感」の命じるままに走り続ければ、次第に摩耗し、動けなくなることは不思議なことではありません。発揚というのはまさにブレーキのきかない車のようなものです。その意味で、発揚気質の人にとって、「疲れる」感覚を取り戻すことは、重要なことであろうと私は思います。

発揚の終焉

 人は必ず年を取ります。一人の人間の限界などたかが知れたものです。発揚をいかに、穏やかに終焉させていくかは非常に重要な問題です。歴代の総理大臣はがんよりも心疾患でなくなることが多いのですが、これも発揚の問題と関係しているのではないかと考えています。

 発揚に気が付かず、放置しておくことで、身体は重大なダメージをおっていきます。「無理していない」とか「こんなの当たり前」という言葉でごまかさないで、一度ならず自分の体について考えてみることは必要なことではないでしょうか。事実、カウンセリングが進展していく中で、「疲れ」の感覚を取り戻し、自分がいかに無理をしていたか気づいていかれる方は少なくありません。

 現代において、こうした身体感覚は黙殺されがちで、特に日本においては我慢やブラック労働など、感覚機能を働かせないことが推奨されているかのようです。

 タフな体力、アンチエイジング。一時的なものであれば、人間は耐えられるのでしょうが、長期間、発揚状態でいることは、たやすいことではありません。必ず限界が来るものです。発揚が終わるとき、そこに残されるのは、うつにもなれないほどの重篤な疲労であるといいます。その時はよくよく心身を休める必要が出てくるでしょう。

 あいにくと「私」という乗り物はひとつきりで、換えがききません。その乗り物の発するサインに気がつける感覚(センサー)について、一度振り返ってみるのはいかがでしょうか。

【参考文献】

・仙波純一.(2011), 双極スペクトラム概念の問題点を考える 精神経誌. 113 (12): 1200-1208. https://journal.jspn.or.jp/jspn/openpdf/1130121200.pdf

・松元圭. (2017). 双極性障害研究から零れ落ちたもの: 社会学的研究へ向けての予備的考察.https://kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/bitstream/10112/13365/1/KU-1100-20170331-02.pdf

・発揚気質Hyperthymic temperament

https://en.wikipedia.org/wiki/Hyperthymic_temperament

 

 

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2021年12月19日