ギャングエイジを過ごせなかった男たち

ひがしすみだカウンセリングルームです。

児童期から思春期にかけて、同年齢集団を作る「ギャングエイジ」という時期があります。この時期は、家庭とは違う価値観に出合い、対人関係のスキルを獲得していくうえで、重要な役割を果たします。

ギャングエイジはどこへ行った?

 ここ数年、様々な男性とお会いしてきて、傷つきやすかったり、いろいろ考えすぎて、コミュニケーションが難しくなってしまったりするという方にしばしば出会います。失敗することに不慣れな方たち、という印象です。こうした方たちに「うまくいかなかったとして、どうなりますか」とお尋ねしても明快なお返事が帰ってくることは少なく、皆一様に「どうなるかわからない」「怖い」とおっしゃいます。

おそらく、対等なコミュニケーションを交わす経験が少ないまま大きくなられてしまったのかもしれません。失敗をしないようにすることを優先されて、なにか失敗をして、受け入れられ、リカバリをする経験に接する機会を逸してきたことで、いわば失敗の免疫がつかないまま来てしまったのだろうかと思うことがあります。

異なる価値観の出会いと折り合い

 初期の対人経験は親子関係によるものが中心ですが、小学校くらいになると、ギャングエイジという、つながりの強い同年齢グループでまとまる時期に入ります。

 ここでこれまでの価値観とは異なる他者と出会い、同年齢の中でこれまでと異なるコミュニケーションが生まれます。この中で親密な関係を築いたり、対立したり、修復をしたりといった経験の中で人との交渉や対人スキル、距離感を学習すると言われています。この中で、自分とは異なる存在(友だち)と折り合いをつけ、ときにその存在を取り入れ、自分の一部としていくことで、自分が形成され、有能感、いわば自信のようなものが形成されていきます。

管理と寛容の難しさ

 しかし、今やそういった小集団を見かけることがすくなりました。友人関係も自然発生的というよりも管理される傾向にあるように見えます。葛藤の生じる関係は排除され、葛藤が生じてもそれを解決するよりは、それではだめだと言って親が代わってクレームを入れる。失敗が許容される余地は小さくなり、生きる力と言って道徳を説き、そこから外れれば非難をする。その非難を内面化して、道理を振り回す。人の意見を聞き入れることができず、勝ったか負けたかでのみ価値が測られるようになってきました。

相手を打ち負かすか優位な立場に立つ。そうでなければ負け。勝ち組とか負け組とかそういう言葉が流行るほどに、世の中は自己価値観に不安を持つことが増えてきた。そういうものを取り入れないと、もはや我々は自己を維持できなくなってしまった。

こんな人になりたい―理想化対象との出会い

 人は不完全な存在です。それを埋め合わせてくれるだれかとのかかわりを通じて、人はまとまりをもってくるようになります。精神分析家のブロスは、思春期に入る頃から、家族への性愛から抜けて、家族外への対象を向けることになると述べています。まずはその対象は同性から始まり、だんだんと異性へと向かい、一個の個人へとつながっていくわけです。

このとき同年齢集団に、親密になれる自分の分身のような対象や、理想となるような対象に出会えることは幸運であり、そうした対象(自己対象と言います)とのかかわりが、成長に大きな役割を果たすことを強調しています。親子というタテの関係では補えなかった、不完全なピースを、チャムシップや、対等なギャングエイジを通して獲得していくのです。

対人関係で傷ついたものは対人関係でのみ回復する

サリヴァンもまた、対等の人間として価値感情を授け、論議において重い心の傷を受けるかもしれないことをあらかじめ警告し、治療の節目節目で、「もしあることを知っていると、よくなったという気になれるのに、知らない」という場合に、助け舟を出してくれる人身近に持つことだけで、「一つの特権を持っているようなもの」(精神医学的面接 p.54)と述べ、対等な対人関係が、貴重であるとともに、傷つき、損なわれた自己を再生するうえで重要であることを強調しています。

完全に対等ということはときには難しいかもしれませんが、可能な限り、カウンセラーは対等な存在としてかかわることで、相談者の自己のまとまりを高め、よりまとまりのある自分へとかわっていくお手伝いをします。

それをカウンセリングの中でいくばくかつかんでいただければ幸いだと私は思います。

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2018年05月23日